#鬼塚夏美生誕祭2023
こんにちは。きらんです。
本日8/7が何の日か、この記事を読んでくださっている皆様ならもうご存じですね。
鬼塚夏美さん、お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!
夏美さん、お誕生日おめでとうございます✨️
— きらん (@kiran_LL) 2023年8月6日
夢に真剣な姿にいつも心を動かされています。これからも貴女の素敵な煌めきを見せてください🥳✨️#鬼塚夏美生誕祭2023#鬼塚夏美誕生祭2023 pic.twitter.com/HTuApXFrJ4
今年もお祝いできて嬉しいです。ほんまにおめでとう。
というわけで、本日の記事のテーマは彼女のソロ曲「Eyeをちょうだい」に関する考察です。
毎日記事投稿企画も本日で5日目。ずっと記事にしたかったテーマですので、いつもより気合が入っております。
とは言え、改めて歌詞に向き合って思うこと。この楽曲、難解すぎませんか?
「キミ」についても、「本当のわたし」についても、明確な回答が楽曲中に示されていないのです。
リリースされてからもう半年弱。ある程度皆様聴き込んでいらっしゃると思うのですが、この楽曲に込められた精緻な意図を完璧に理解しているのは、ぶっちゃけ作詞した宮嶋淳子先生くらいのものではないかとすら思っております。こんな記事を書きながら言うのもなんなのですが、私の方が頭を下げて皆様に教えを請いたいくらいです。
ですが、それくらい難しい方が読み解きがいがあるというもの。自分なりにヒントとなるパーツを拾い集めて、解釈をつくり上げてまいりたいと思います。
さてさて、本題に入ってまいりましょう。
場面の選定
まず、夏美さんがどんな状況でこの曲を歌っているのかという大前提が明確でなければ、今後の読み解きに入っていくことができません。
とはいえ、楽曲中にそれを具体的に示すキーワードはありませんから、だいたいの目安を示すくらいしかできないのですが。
夏美さんのスタンスは、2期6話以前か以後かで大きく二分されます。2期6話以前の夏美さんは、がむしゃらにマニー稼ぎに奔走しています。対して、2期6話以後の夏美さんは、スクールアイドルを夢と定め、行動指針はそれに基づいていきます。
結論から申し上げますと、この楽曲で描かれているのは2期6話以後の夏美さんの在り方であるというのが私の意見です。
その参考としたフレーズは以下のものです。
こんなに夢中になるわけは
最大級のザ・シークレット
「Eyeをちょうだい」より
私は「夢中」という単語に着目しました。
「夢」との関わり方が夏美さんの在り方を読み解く大きなヒントとなるのは言うまでもありません。「夢」のなかった2期6話以前の夏美さんよりも、「夢」を見つけてそれを追いかけ始めた夏美さんの方が、この歌詞について想いを馳せやすいように感じるのです。
参考までに、2期6話の挿入歌である「ビタミンSUMMER!」には以下のような歌詞があります。「Eyeをちょうだい」もまた「夢中の申し子」となった夏美さんによって届けられている楽曲であると捉える方が自然ではあると言えるでしょう。
僕らルーキー 夢中の申し子さ
「ビタミンSUMMER!」より
もちろん、他の歌詞を解釈するにあたり、2期6話以前の夏美さんの姿を連想した方がしっくりくるところもあります。百人百様の「Eyeをちょうだい」の解釈があっていいと考えておりますが、あくまでこの記事では以上のスタンスで解釈を進めてまいろうと思います。
結局「キミ」って誰?
この楽曲の解釈をより難しくしている最も大きな要因は、夏美さんと「キミ」の関係性にあると考えています。
まず、夏美さんはキミの笑顔を見ることを望んでいます。
Eye Eye Eyeをちょうだい
キミの笑顔をもっともっと
「Eyeをちょうだい」より
これにより、少なくとも「キミ」は夏美さんが一定以上好意的に思っている相手であることが分かります。
また、誰も知らないキミを知りたいとも思っています。
油断させて盗んで見せる
誰も知らないキミを
「Eyeをちょうだい」より
「誰も知らないキミ」とは、実際に見ることは叶わない「キミ」の心理的な部分を指していると予想されます。「キミの心を盗む=自分の虜にさせる」と意訳することもできましょうし、遠回しに「キミのことをもっと知って関係を深めたい」と言っているとも捉えられるフレーズであるように思います。
さらに、「本当のわたし」を「キミ」に自分を知られるのは怖いと思いつつも、「キミ」にそれを見破られたいとも思っています。
おかしいね
本当のわたしをキミに知られるのが怖い
「Eyeをちょうだい」より
何故かキミに見破られたい
本当のわたし
だけどまだまだ・ザシークレット
「Eyeをちょうだい」より
「本当のわたし」を「キミ」に知られるのが怖いと思いつつも、それを望んでしまうのは「キミであれば本当のわたしを認めてくれるのではないか」という期待が前提にあるのではないかと勘繰ることができます。
それでも、まだまだ「ザ・シークレット」を貫くのは、「見破られる」=「わたしをさらけ出す」適切なタイミングを図っているからなのではないでしょうか。
さて、ここまでつらつらと「キミ」の特徴について語ってまいりましたが、ぶっちゃけこれだけじゃ「キミ」って誰なのか全く絞り切れないよ~っていうのが正直な感想です。
とはいえ「色んな解釈の余地がある」というのも間違いなく大きな魅力。受け取るそれぞれの人が、自分なりの「キミ」を想定できる懐の広さがこの楽曲にはあるということですね。
もっとも、この論点についてはライブのパフォーマンスやスクリーンの演出などによってより理解が深まるであろうことも予期されます。この謎については、4thライブまで楽しみに取っておくとしましょう。
「本当のわたし」
ここまでの話をもとに、夏美さんが暴かれたくないけど暴かれたい、でもまだ暴かせない「本当のわたし」とはなんなのか掘り下げていこうと思います。
私は、鬼塚夏美さんには「見せかけのわたし」と「本当のわたし」の二つの正反対な人格が内在していると考えています。
「見せかけのわたし」とは、彼女が自分の望みを叶えるべくつくり上げたキャラクターである「オニナッツ」です。
「オニナッツ」はハイテンションで厚顔無恥。マニー稼ぎのためならば、倫理観を捨て置いて行動する歪さがあります。他者と接する場面においては、基本的に彼女は「オニナッツ」の皮をかぶり振舞っています。
対して「本当のわたし」とは、夢見がちながらも自分に自信が持てない鬼塚夏美というキャラクターの本質です。
彼女はそんな自分が嫌いで、「オニナッツ」の仮面をかぶってそれをひた隠しながら生きてきました。スクールアイドルに出逢うまでは。
スクールアイドルを夢と定めてから、彼女は夢への認識が徐々に改まっていったはずです。叶わないものだと認識していた夢に手が届く、その喜びを知っていったからです。
夏美さんはその過程で、徐々に「本当のわたし」への自信を回復させていったのではないでしょうか。だから「キミ」に「本当のわたし」を見破られたいなんて想いが萌芽していったのではないかと思います。
それでも「まだまだザ・シークレット」なんですよね。
これは、夢を叶えることができたのは100%自分の実力というわけではなく「奇跡」に過ぎないと認識しているからではないかと私は考えます。
忘れないよ はじける高鳴り
かすかに手が届いたあの時に
当たり前に変わるはずないよ
いまでもまだ奇跡のままさ
「Second Sparkle」より
もし今後の物語で、自分の実力で夢を叶えることができたとしたら。彼女の楽曲の中で、ついに「本当のわたし」がさらけ出されることがあるかもしれませんね。
【結論】
鬼塚夏美、なんにもわからん