毎日記事更新13日目。
皆さんこんにちは。きらんです。
毎日記事更新企画も13日目。今日もヒイヒイ言いながら記事を書いています(お前が始めた物語だろ)
やっぱり毎日記事を書くことは大変ですし「時間がね、どんなあっても足りないよ」という感じですが、それ以上に各楽曲への理解が深まる喜びや達成感があって、改めて「はじめてよかった」と思わされています。
きっとこの企画を実践しなければここまで考えを深めることもなかった楽曲もちらほらありますし、頑張って最後まで駆けていこうと思います。いまは来たる4thライブをより楽しむために「眠らないで夢をみる」のみです。
カレンダーずっと睨んでるんだ
時間がね、どんなあっても足りないよ
どれも絶対譲れないから
眠らないで夢をみよう「TO BE CONTINUED」より
企画のスケジュールは以下のツイートの通りです。
【告知①】
— きらん@Liella!4th千葉両日 (@kiran_LL) 2023年8月3日
今日から4th前日まで、毎日新譜の記事を投稿します💫
よろしければ見ていっていただけると嬉しいです〜🙌#きらんのbrandnewMusics pic.twitter.com/mfRpy2RcRC
本日の楽曲は「影遊び」。ユニットミニアルバムにおけるCatChu!のB面曲です。
「影遊び」って?
影遊びとは、手を使い動物の形の影を作る影絵や、影踏みと言った影を使った遊び全般のことを指します。
歌詞を読むに、この楽曲では、影遊びの中でも特に影絵がピックアップされているようです。誰もいなくなった夜の公園で影絵をしている思春期の少年少女たちの情景を、リアルに・鮮やかに書き起こした楽曲が「影遊び」であると言えそうです。
「影絵」ではキツネやウサギが有名ですが、やり方次第ではどんなものだって形作り、投影することができます。「影絵」の可能性は無限大なのです。
対して「影絵」で遊んでいる主体の方に目を移すと、影として映し出される無限様の存在とは対照的に、どこまで行っても一人の人間のままです。そう簡単に姿かたちを変えていくことはできません。
「影遊び」は、楽曲の主人公がこの遊びで映し出された影と自分自身の在り方・未来を重ね、そのギャップに苦しみ、憂鬱に思うとともに、一縷の希望を見出していく楽曲であると言えましょう。
(君と両手伸ばして)
影遊びをする 何をかたどるの
(どんなものにでもなれる)
全部君次第だよ そうだ僕次第だろう
「影遊び」より
様々な描写で表現される「憂鬱」
この楽曲の魅力のひとつとして、私は「描写の文学的抒情性」が挙げられると感じています。主人公の在り方を示す比喩表現や言葉選びに深みがあり、まるで「小説を聴いている」かのような没入感を我々にもたらしてくれます。
伸びてく影が映し出してたのは
うまく言えない感傷 行き場もなくうなだれたまま
「影遊び」より
これはサビで主人公らが「影遊び」を始める直前の様子を描き出した歌詞です。
ありのまま伸びる主人公らの影がはらんでいるのは「影遊び」で理想を映し出したそれとはあまりに対照的な「感傷」と「やるせなさ」。理想と現実とのギャップを残酷なほどに生々しく映し出す一節です。
そろそろ帰ろうか 今日も終わる
日付以外は何ひとつ変わんないや
「影遊び」より
次に、このフレーズは2番Aメロで影遊びを終えた主人公らが帰ろうとするシーンです。
「影遊び」をしている間は、彼女らの影は自由自在にかたちを変え、理想の姿へと移り変わることができます。対して、主人公ら自身については「日付以外何ひとつ変わんない」と自認している。「影遊び」で描いた理想に置いてけぼりにされる憂鬱を、それらしい言葉を使わずきれいに表現したフレーズですよね。
満月まではあと一歩だけ足りない
月を見上げていた まるで今の僕らのようで
明日満ちるのかな もっと先なのかな
なんてどうだっていい話をする
「影遊び」より
私がこの楽曲で最も好きなフレーズのひとつです。
大人でも子供でもない思春期の主人公たちが、自分自身の在り方を「満月まではあと一歩足りない月のよう」であると表現するこの一節。年頃ならではの葛藤をあまりにも文学的に表現した一節です。
未来は自分次第、でも君にそばにいてほしい
全部君次第だよ そうだ僕次第だよ
「影遊び」より
未来の自分がどうなるのかは自分次第。それがこの楽曲における主人公の結論です。
その人がどうなりたいのか、どんな方向に走っていきたいのか、どれだけ努力できるのか。自分が思い描いた未来を叶えるこれらの要素は、すべて自分に依存します。
じゃあ、結局違う自分を目指していく僕と君は、その分岐点に立ち会ったとき離れていくほかないでしょうか。
もしかしたら、そうなのかもしれない。それぞれの道を歩むために手を振らないといけないのかもしれない。それでも、だからこそ。
ここで話をしよう ここで憂いていよう
灯り消えるまでは傍にいたい
「影遊び」より
主人公たちは最後まで傍にいることをやめない。そばに居続けることを願っている。たとえ自分の在り方に苦しんでも、たとえ袂を分かつ未来が決まっていたとしても。君といれば、痛みを抱えながらもいまを乗り越えられる気がするから。
未来がどうなるかなんてわからない。ただわかっているのは、いまがいましかないこと。憂鬱ないまをより安らかに、より楽しく過ごすために。きっと主人公らは今晩もいつもの公園に集って影遊びをすることでしょう。
まだだ
「影遊び」より